パティシエ専門学校時代の話

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製菓専門学校に通う

私は高校時代に急にお菓子作りに目覚め、受験をするのもやだったので専門学校に行くことを決めました。

なぜエコール辻にしたか

当時も色々な学校がありましたが自分が選ぶ際のポイントはフランス留学と知名度でした。
この2つの条件だと当時はエコール辻 東京か服部製菓の2つしかなく「料理界の東大」のキャッチフレーズで有名だったエコール辻 東京に決めました。

専門学校生活

クラスには40人いて男子が8人。
班分けで8人班になり男子は自分含めて4人いました。
専門学校では色々な人がいて年齢もバラバラで同い年は4人であとは皆年上でした。

ここで1人の男とすぐに仲良くなり2人で班長的なポジションにつきました。(実際には別に班長がいますが)

取り敢えず目立たないとやっていけないと思い授業中も周りには迷惑をかけないように盛り上げ、頻繁に飲み会を開いて幹事をやっていました。

1ヶ月もすると先生からも気に入ってもらえ、よくクラス関係なく若い先生と飲みに行って色々なお話を聞きました。

これってすごく重要で学校では聞けないこととかを教えてくれるのでおすすめです。

相方は和菓子屋の御曹司で自分と比べれ知識や技術も自分より優れていたので学生時代は何とか勝てるように頑張って争っていました。

今でも良きライバルで仲良くやっています。

専門学校時代は今となっては何を学んだかあんまり覚えてませんがはじめとしてはいいスタートがきれたと思います。

在学中のアルバイト

在学中はアルバイトで豆腐をリアカーで売り歩くバイトをしており、そこでセールストークを学び、お客さんに来店してもらうよりお客さんの玄関を抑える方が重要だと気づきました。

これは今でも自分の中では重要な考えです。

ケーキ屋さんでバイトしていたら気づけなかったかもしれませんので、やはり違う職種でバイトをしてお菓子に活かすのがいいと思います。

アルバイトを通じて自分は在学中に将来のビジョンを絵描くことができたので後は大まかに逆算で何をいつしたらいいかを考えていました。

フランス留学

フランス校に進んでも基本的に考え方は変わらずみんなとワイワイ騒ぎながら過ごしていました。

私は小学生の6年間ヨーロッパに住んでたのもあって特に外国だからってビビることもなく夜の街へも遊びに行って社会勉強をしました。

とにかくフランス校時代は最後の学生生活だったので勉強は程々にみっちり楽しむことを優先にしました。

研修が始まる時もどうしたら他人より多くのこと吸収できるかを考え、レストランパティシエとして働き、レストランが冬休みの期間を使って1ヶ月間、町場のケーキ屋に交渉して働かせてもらえるようにしました。

在学中からレストラン研修にあたっていかに名前を覚えてもらうかを考えた挙句、髪の毛をちょんまげ風にしようと考え、坊主にちょんまげで初日行ったらすぐにサムライというあだ名をゲットし可愛がってもらえるようになりました。

英語もフランス語もある程度できたのでしょっちゅうケンカもしました。

偉そうと思われがちですが、海外だと自分の主張を言わないと全く評価されないのでここはケンカになってでも主張すべきです。

町場のケーキ屋で働くときはシェフの家で住込でしたのでシェフの家族には大変お世話になっていました。


ここでちょんまげを切ろうと決め、シェフにお願いしたらハサミで切ってくれてサムライのちょんまげを切ったと喜んでいました。

勤務時間は朝5時から昼の12時まで。寝るのが23時くらいなのでとにかく時間があります。

自由時間は散歩したり、飲みに行ったり、観光をしていました。

読んでる方は気付いてるかもしれませんが私はケーキの勉強は必要最低限しかやっていません。

それって自分の中ではあんまり意味がなく考えを学ぶ方が重要だったからです。

そんな思考のまま学生生活が終わり修行時代へと続きます。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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