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パティシエ の修行時代その1

パティシエになる

パティシエ 1店舗目のお話です

パティシエ 就活

パティシエ のフランス校から帰り就職活動を始めました。

フランス校って日本に帰ってくるのが2月なので就職難民になりやすかったんですよ。

在学中から行きたかったサロンドシェフタケエに電話を入社したいと伝えたが募集は終わっているとのこと。

武江さんにオリジーヌカカオとドゥーシュークルなら紹介できると言っていただき両店で悩むことに。

結果幅広くお菓子を作ってるドゥーシュークルに決め入社。

ドゥーシュークル

7人のパティシエ―その発想の原点とケーキたち

パティシエ 何もかもが新しかった1年目

ドゥーシュークルは当時江戸川区の本店と北千住マルイに店舗がありマルイ店に配属が決まった。 (現在両店舗とも閉店)

メンバーはスーシェフと先輩3人、1ヶ月前に入った同期と自分で5人体制です。

同じ同期でも入った時期が遅かった為1番の下っ端。

学生時代から朝が苦手だったので2日に1回は遅刻をしていました。

目覚ましは全部で10個。全然起きれません。

今思うとよくクビにならなかったと。

最初は洗い物と計量ばっかりの毎日。

同期は基本ライバルだったので仲良くはなく仕事を取り合っていました。

数ヶ月して同期が早くも辞め、ある程度の仕事が回ってくるようになりました。

主な仕事はフルーツロール

1~2年目でのメインの仕事は生補助でパティシエールとフルーツロールでした。

マルイ店ではフルーツロールが1日100本以上売れる人気商品でこれだけは誰にも負けないくらい早く綺麗に作れる自信がありました。

途中から本店とマルイ店のメンバー入れ替えがあり本店勤務になりました。

次に窯補助になり先輩に色々な焼き菓子、生地を教わり一気に窯の虜に。

初めてポジションを任される

当時は本店を含め先輩が多くいた為、補助止まりでしたが3年目頃に先輩が辞めていき初めての生担当になったときは任されてる感が感動するくらい嬉しかったです。

次に窯を任されるようになり、自分が教わったことを後輩に伝えるまで成長しました。

自分の武器は?

パティシエ

自分の武器はスピードだったので、はじめは80%のものを素早くやっていましたが、90、100%と上げていくのがやはり大変でした。

在社中はジャパンケーキショーのマジパンに毎年出品してましたが1年目の話題賞(もう無い?)くらいでパッとせず。

4年居て経験的には十分でしたが先輩も多少残っていた為、役職には就けなかったので転職を考えることにしました。

【驚愕】パティシエの離職率90%越

パティシエ まとめ

当時の労働環境は朝6時半出勤で家に帰るのが22時。

クリスマスは23日からは泊まり込みもありました。

週一に休みで給料が16−18万(保険などは自分)でしたね。

今考えるとブラックですが当時はこれでも毎日が楽しく満足していました。

次は2店舗目の体験談へと続きます。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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